大判例

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大阪地方裁判所 昭和57年(行ウ)84号 判決 1984年7月19日

原告

梁泳鎬

右訴訟代理人

岡本太郎

被告

法務大臣

住栄作

被告

大阪入国管理局主任審査官

藤田稔

被告両名指定代理人

田中治

外一名

被告大阪入国管理局主任審査官指定代理人

根本利夫

外三名

主文

被告法務大臣が昭和五七年九月八日付けで原告に対してした出入国管理及び難民認定法四九条一項に基づく原告の異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す。

被告大阪入国管理局主任審査官が昭和五七年九月一三日付けで原告に対してした退去強制令書発付処分を取り消す。

訴訟費用は被告らの負担とする。

事実

一当事者の求めた裁判

(原告)

主文と同旨の判決

(被告ら)

原告の請求をいずれも棄却する、訴訟費用は原告の負担とする、との判決

二原告の請求原因

1  原告は、昭和二九年二月七日父梁恒模と母金順興こと朴春子との間に出生した韓国人であるが、昭和四八年二月初め頃有効な旅券を所持せずに韓国から本邦に入国した。

原告は、右入国の事実が発覚したため、昭和五七年八月九日大阪入国管理局入国審査官により出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)二四条一号に該当すると認定され、口頭審理の請求をしたところ、同月一六日同局特別審理官により右認定は誤りがない旨の判定を受けた。そこで、原告は同日被告法務大臣(以下「被告大臣」という。)に異議の申出をしたが、同年九月八日被告大臣は右異議の申出は理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をし、同月一三日被告大阪入国管理局主任審査官は原告に対し退去強制令書を発付した(以下「本件処分」という。)。

2  しかしながら、本件裁決及び本件処分は以下に述べる理由によつていずれも違法であるから、取り消されるべきである。

(一)  原告は、大阪市において出生し、両親の養育を受けながら金龍男という氏名で五歳位まで日本に居住していたが、その頃両親が別れたために、妹と共に父に連れられて韓国へ渡り、その後は父に育てられることになつた。ところが、原告が高校二年生の時に父が交通事故で死亡し、父の本妻やその子供達とは疎遠で居所も不明の状態であり、頼るべき身寄が全く無かつたことから、原告は、父が働いていた寺の人に面倒をみてもらつたり、日本の母から送金してもらつたりして、昭和四七年三月ようやく高校を卒業することができた。

原告は、母との離別が原告の意思に基づくものではなかつたこと及び父が死亡したことから、原告と母との間の文通の中で、日本へ入国して母と生活する意思のある旨を明らかにし、これに対し母も原告の入国を望んだ。そこで、原告は母親に対する思慕の情押え難く、昭和四八年二月初め頃密航という手段で日本へ入国した。

原告は日本に入国後、他に身寄もなく女一人生活保護を受けて苦労しながら暮らしていた母のために、一〇年近くの間懸命に働き、婦人服縫製の技術を身につけ、その結果、自宅にミシン三台を置いて母とともに婦人服縫製の下請けの仕事ができるようになり、取引先の信頼を得て毎月三〇万円位の収入を得、母も生活保護を受けなくてすむようになつた。また、この間の預貯金も二〇〇万円位できて、今後とも独立して生計をたてていく見通しが立ち、さらに原告自身が母の名義で市・府民税を納付するまでになつた。

原告の母は昭和九年日本に入国し、その後引続き在留し、永住許可を得ているが、高令であつて、苦労の連続のためか慢性関節リウマチを罹患して通院を続けており、今後共原告が面倒を見る必要がある。原告が頼るべき親族は韓国にはいず、妹富子は結婚して米国に居住している。

(二)  本件裁決及び本件処分は、原告親子を離別させ、約一〇年に及ぶ平穏な生活を破壊し、はかり知れない苦痛と不利益を与えるものであり、確立された国際法規というべき世界人権宣言九条、国際赤十字第一九回国際会議における離散家族の再会に関する決議、難民の地位に関する条約、国際人権規約のB規約九条、一三条に違反し、ひいては憲法九八条二項に違反するばかりか、直接憲法前文及び一三条にも違反する。

(三)  本件裁決及び本件処分は、原告に対して何ら納得のいく合理的な理由を示すことなくなされたものであり憲法三一条に違反する。

(四)  前記のような事情、特に原告の生い立ち、密航に不法目的のないこと、在日中の生活態度、母親の病状、親族状況等を考えると、被告大臣は原告に対し人道的見地からの配慮をすべきであつたのに、法五〇条一項所定の在留特別許可(以下「特在許可」という。)を付与することなく本件裁決をしたものであるから、本件裁決には裁量権の範囲を逸脱したか又は裁量権を濫用した違法がある。

(五)  被告大臣に対する異議申出者の七割以上の者に特在許可が与えられているという実態、日本にいる親を頼つて不法入国した子に対しては特在許可がなされることが多いという行政先例の存在に照らして、何ら特段の事情が存しないにもかかわらず原告に対して特在許可を付与しなかつた本件裁決は、憲法一四条、国際人権規約B規約二六条の平等原則に違反する。

3  よつて、原告は本件裁決及び本件処分の取消しを求める。

三請求原因に対する被告らの認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実中、本件裁決及び本件処分がいずれも違法であるとの主張は争う。同(一)の事実中、原告の父の帰国の動機、その死亡の原因、原告が父の死後父の稼働先の寺の人に面倒をみてもらつていたことは知らず、原告が父の本妻やその子供達とは全く疎遠で同人らの居所も不明であり、頼るべき身寄が全くなかつたことは否認し、その余は認める。

四被告らの主張

1  法四九条三項に基づく法務大臣の裁決は、容疑者が該当するとされた退去強制事由の有無を判断の内容とするものであり、また、法務大臣が異議の申出は理由がない旨裁決した場合には、主任審査官は必ず退去強制令書を発付しなければならず、そこには何ら裁量の余地は存しないのであるから、本件裁決及び本件処分はいずれも覊束処分であり、そこには何ら違法な点は存しない。

退去せしめられる不法入国者がその在留を否定され、ひいては在留からもたらされる諸利益を失うとしても、右の在留及び諸利益は、もともと違法なものであるか、そうでなくても違法状態の上に築かれたものとして、退去強制に当たつては法的保護の対象となるものではない。

2  世界人権宣言は、全ての人類と全ての国とが達成すべき共通の基準として布告されたものであるから、それ自体が国際法規範としての拘束力を有するものではなく、離散家族の再会に関する決議は、非政府団体の勧告以上のものではなく、あくまで道義の次元のものである。

また、離民の地位に関する条約は、難民であるとの認定を受けて始めてその適用があり、B規約九条、一三条は手続規定である。更に、憲法前文の文言は極めて抽象的な内容であつて、そこに裁判規範性を認めることはできず、原告のような事情にある不法入国者を退去強制することが直ちに個人の尊厳に反すると言えるものでないことも明らかであつて憲法一三条に違反しない。

3  本件手続は原告が不法入国者であるという明確な事実を挙示してなされたものであり、また、特在許可の許容の判断は法務大臣の自由裁量に属するものであるから、その判断の理由は、特にこれを示すべきであるとする法律の規定がない以上何ら示す必要はないのであつて、原告の憲法三一条違反の主張も理由がない。

4  特在許可の許否の判断は、法務大臣の自由裁量に属し、しかも、特在許可は、当該外国人の個人的事情のみならず、国際情勢、外交政策等の客観的事情を総合的に考慮したうえ決定される恩恵的措置であつて、その裁量の範囲は極めて広く、仮に、裁量権の範囲の逸脱又はその濫用が違法事由になる場合があるとしても、本件については、原告に対して特在許可を与えなかつたことに裁量権の範囲の逸脱又はその濫用の違法はない。

五証拠<省略>

理由

一請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二原告は、本件裁決及び本件処分がいずれも覊束処分であり、何ら違法な点は存しないと主張する。しかしながら、法務大臣は裁決に当たり異議の申出が理由がないと認める場合でも一定の事由に該当するときはその者の在留を特別に許可することができるとされ(法五〇条一項)、退去強制が著しく不当であることを理由として異議を申し出る場合には、その資料を提出すべきものとされている(法施行規則四二条四号)ことなどからすれば、異議の申出が理由がないとする裁決は、入国審査官の認定を相当としてこれを維持するのと同時に、特在許可を付与しないとの判断を示した処分にほかならないというべきである。したがつて、特在許可を付与しないことが違法であれば、この点を違法事由として裁決の取消しを求めることができ、さらに、主任審査官は退去強制令書の発付について裁量の自由を有しないが(法四九条五項)、法務大臣の裁決の違法性は後行処分たる退去強制令書発付処分に承継されるものというべきである。そして、特在許可を与えるか否かは、諸般の事情を総合的に考慮したうえで決定されるべき事柄であり、法務大臣の広範な自由裁量に委ねられているが、特在許可を与えないことが、裁量権の範囲を逸脱し又は裁量権を濫用してされたものと認められる場合には、特在許可を与えないことは違法というべきである。よつて、被告大臣が原告に対し特在許可を付与しなかつたことにそのような違法があるか否かについて、以下判断する。

三<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

1原告の母朴春子(旧称金順興)は、昭和九年現在の韓国済州道から大阪市に来て、しばらく働いた後、昭和一三年に趙錫斗と結婚して一女を儲けたが、趙錫斗が暴力を振うことから昭和一六年頃同人と離別した(なお、同人は長女を連れて韓国に帰つた後に死亡しており、長女の行方は判明しない。)。終戦後、原告の母は梁恒模と同棲するようになり、原告を懐妊したが、梁恒模が韓国に本妻と三人の子供がいるからもう子供はいらないと言つて原告の母に乱暴するので、原告の母は梁恒模と別れて、昭和二九年二月七日、知人の家で原告を出産した。その約二年後に梁恒模は原告の母の住居を探し出し、大阪市城東区内の家屋を購入してそこで親子三人暮らすようになり、昭和三二年三月三〇日には原告の妹富子が生まれた。その後、梁恒模は、借金に追われて右家屋を売り払い転居したが、昭和三四年四月末頃、原告(当時五歳)と妹を連れて韓国へ帰つた。原告の母は、梁恒模が相変らず暴力を振うことや韓国にはその本妻がいることから、一緒に行つても苦労するだけであろうと考えて、日本に留まつた。

2韓国に帰国後、原告の父は、原告の妹を本妻宅に預け、原告を連れて僧侶のような仕事をしながら韓国済州道内の寺院等を転々としたので、原告は国民学校を三度、中学校を一度それぞれ転校して、高校に進学した。原告は、日本の母のことを噂等で聞いており、父も原告が高校を卒業したら正式な手続で原告を日本の母の許へ行かせてやる旨話していたので、一度日本へ行つてみようと思つていたところ、昭和四五年四月一日父が交通事故で死亡した。原告はこれまで父の本妻や異母兄弟と一緒に暮らしたことがなく、文通すらしていなかつたので、頼るべき身寄がなくなり、日本の母に父が死んだので母の許へ行きたい旨連絡したところ、母から来日するように言われた。原告は、寺院の世話になりながら母からの送金によつてどうにか高校を卒業したので、是非とも日本の母の許へ行こうという気持を強めた。

原告は、高校卒業後釜山市へ行き、アルバイトをしながら密航の機会を窺つていたが、昭和四八年二月初め頃その機会を得、木造鮮魚運搬船に三日間潜んで九州の某地に上陸し、そのまま大阪市内の母の許に行つた。

3原告は、母の遠戚である金城大起方に住み込んで紳士服の縫製見習いとして働くようになり、休日等に時々母方に泊る等しながら、昭和五二年夏頃まで見習いを続けた。その後、母方から通つて婦人服縫製の仕事等をしていたが、昭和五四年四月から母の許で自立して婦人服縫製業を営むこととなつた。原告の不法入国が発覚した頃には、原告はミシン三台を有して、母と二人、多忙な時にはアルバイトを雇つて働き、月収三〇万円位を得、貯金も二〇〇万円位になつていた。

また、原告は不法入国者であるので、母名義で市・府民税を納付してきた。

4原告が不法入国した頃、母は生活保護を受けていたが、約二年後にはこれを受けなくてすむようになつた。しかし、原告が収容されたために、慢性関節リウマチを患つている母は、昭和五七年一〇月一六日から再び生活、住宅及び医療扶助を受けるに至つた。母の左右指関節はふしくれ立つてくの字形に変形しており伸長できず、右腕関節はやや偏平に変形し、左右膝関節にはいわゆる水が溜りこれを医師に抜いてもらつている。

なお、原告は健康な独身者で、まだ婚約者はおらず、妹富子は米国人と結婚して、米国に居住しており、母の両親は既に死亡しており、原告の義兄夫婦と母の妹が韓国済州市に居住しているが、原告との交際はほとんどなかつた。原告の母は、一九一九年五月一一日生れで、昭和五七年四月三〇日法附則七項一号による永住許可を受けており、旧称の金順興は梁恒模と同棲当時に同人が勝手にその名前で外国人登録の手続をしていたものであり、昭和五八年七月二八日戸籍どおりの氏名に登録訂正がされている。

5原告は、不法入国の事実が発覚したため、昭和五七年七月八日外国人登録法違反により大阪地方裁判所に公訴を提起され、同年九月八日に懲役八月、執行猶予二年の判決を言い渡され、右判決は確定している。

四以上認定の事実、特に、原告は日本で出生した者であるところ、わずか五歳の頃実父母の別離のため本人の意思とは無関係に韓国へ渡らざるをえなかつたこと、本邦への不法入国の動機も父と二人で遍歴の生活をした後一六歳の頃に父を失い、韓国に親しい身寄もいなかつたので、母と共に生活をしたいとの母を想う肉親の情にあつたこと、来日後原告は努力して婦人服縫製の技術を身につけ、やつと独立して一家の家計を維持する者として母を養いつつ貯えも可能になつた頃に不法入国が発覚したこと、原告は来日後九年余真面目に働き、母と二人で平穏な生活を営んでおりこのまま本邦に居住させたとしても国益を害するおそれは認められないこと(なお、被告らは、不法入国者の在留及び失うことになる諸利益はもともと違法なものであるから保護に値しないと主張するが、原告については、その出生及び出国の事情に照らすと、そのようにいうことは酷であり、本件には被告らの右主張は当てはまらないというべきである。)、原告の母が永住許可を得ており、老令に加えて現在病気で苦しみ、原告の物心両面の援助を必要としていること等の事情を勘案すると、原告に対して被告大臣が特在許可を付与せず、その結果原告と母とを引き裂き、彼らの築きあげた平穏な生活を破壊することは、これをもやむを得ないとする特段の事情が存しない限り、人道に惇る苛酷な行為であり正義に反するというべきである。しかるところ、本件においては右特段の事情は何ら窺えないので、結局、被告大臣が原告に対し特在許可を付与しなかつたことについては、その裁量権の行使を誤つた違法があるというべきであり、したがつて、本件裁決は違法なものとして取り消されるべきであり、その後行処分たる本件処分も違法として取り消されるべきものである。

五してみると、原告の本訴各請求はいずれも理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用し、主文のとおり判決する。

(青木敏行 古賀寛 梅山光法)

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